2013年4月29日月曜日

東京大学「80年代地下文化論」講義 をざっくり読んで

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大学の図書館いいな。

やっぱり90分の講義を13回受けたぐらいで何かを取得できるわけもなく、どうしても「ああ知りたい」「あれなんだっけ」って思っちゃうんだよなあ。

つまりは大学の講義なんぞ、キッカケに過ぎないということなんだろうね。


そこで図書館だ。

僕の大学は国公立大ほどではないが、マンモス大ということもあるので、一般に読む分ぐらいの本はそこそこある。なんか今日は色々読みたくなったもんで、久々に図書館に向かった。昔から活字を読むのは嫌いだし、それに知識教養も無いのに先生から勧められた小難しい本を読むのも気が引ける。そこで何か興味のある世界にふれる本にしてみた。

僕は80年代90年代の東京を知らない。2000年代、もう時代は進まないと思ってた。でも進んでる。でもどことなくぎこちない。何か空回りしている気がする、どうにかこのままの〈東京〉であってくれというような、この満ち足りている東京がいつか消えるのではないかという不安を人々は感じているような気がする。


詩人ぽいことはさておき、そこでこんな本を見つけた。おもしろそう。

東京大学「80年代地下文化論」講義

今日はこの本を30分で読もうと決めた。

300ページぐらいの厚さのある文庫本なんだけど、とりあえずつまみ食いしていく。

どういう本なのかというと、「おたく」「バブル」がキーワードになっていて、大塚英志さんの「『おたく』の精神史」を違う風に見てみようぜ、地下文化は「おたく」だけじゃなかった「ピテカントロプス・エレクトス」とかYMOとか、ゼビウスとかあったじゃん。とかそういう話題に見えた。つまりは地下文化に関する仮説を幾つか提示し、経験に基づいて地下文化を論じたものだった。そういうテレビが報じない僕の知らない80'sがそこにはあった。

といっても活字が苦手な人間なもので、よく分からんまま30分が過ぎたと思う。

でも面白い文章や引用があったので幾つか、メモ書き程度に残しておきたい。

 これらの同人誌、あるいは同人誌的な雑誌は、同一の情報を持っていることの確認や、あるいはその同種の情報をより先鋭に細部にいたるまで究めていることの自己暗示の媒体として、読まれ、またつくられたのである。これらの連帯がさらに拡張すれば、同類の同人誌の間の交換にまで至るだろう。それが、七五年に始まったコミックマーケットである。
 同人誌(的な雑誌)の中心的な方法は、パロディーである。パロディーが好まれるのは、浅羽(引用者註・浅羽通明)が呉智英の論述をもとに述べているように(引用者註・浅羽通明『高度消費社会に浮遊する天使たち』)、パロディーが、作者と読者の間に共通の教養を、しかも相当に細部にいたる共通の教養を、前提にしてのみ可能な手法だからである。つまり、それは、共有された情報に基づく連帯という、同人誌の本来の目的にきわめて合致した方法なのである。
(アクロス編集室編『ポップコミュニケーション全書』)

なるほど

 同人誌が象徴しているのは、同じ情報をもっているということを根拠にした同種の仲間と、しかも、そのような仲間のみと連帯しようとする、オタクの強力な志向である。オタクたちは、自分と同じようなタイプの人間とのみ、つまり、自分の直接の映し(鏡映)として成立できるような相手のみ、積極的に関係しようとするのだ。
(アクロス編集室編『ポップコミュニケーション全書』)

あながち間違いではないが、それを言ったらtwitterも同じものなんだろうけれどね。だから「オタク」というのは、人種を一括りにするものではなく、人間が持つある意味〈性格〉といってもよい気がする。


さらに面白いところに六本木ヒルズが出てくる。

どうも仮説によれば、西武セゾンが80年代に生み出した文化を嫌悪した人々が「六本木ヒルズ」を後に生んだんだろう、という。そうなのかもしれない。なぜ六本木ヒルズは成功したのか、といえば、先見の明があったからなんだろうと僕は思う。西武セゾンはきっと一時的なものに過ぎなかったのだろう。

それは亡くなった森稔会長の言葉で分かる。

都市は生きている。時代を呼吸しながら育っていくものである。本当の評価は誕生した時点ではわからない。時代の波を受け止めながらどう成熟していくのか、社会経済にどんな効果をもたらしたのか、それによって何を実現したのか、長い歳月をかけてわかってくるものである。

さて、乱雑な文章の展開で申し訳ないけど、この本の最後にある東京論は至極おもしろいのさ。

 当時「渋谷系」って言葉があったんで、じゃあやっぱり、コーネリアスのCDがないという意味において、その土地は「秋葉原系」だろう。そんな内容のエッセイを僕はずいぶん昔用いていたんですけど、いまはこれがごく一般化し、「アキバ系」という言葉になった。
 秋葉原がいまのように変化してくとは、当時――というのは90年代ですが――僕も考えてはいなかった。単にコンピュータのショップの多い街であって、いわゆる80年代からつながっていた「オタク」という文脈がそのまま流れ込んで、コスプレのメイド喫茶のようなものが出現したり、ひとつの街の中で「オタク」の文化が定着するような状況は、その当時、想像もしていませんでした。

そりゃ僕だって、電車男を見るまで、2010年意識して秋葉原を訪れるまで、こんな異質な街があるなんて思いもよりませんでしたよ!

秋葉原は「オタク」の街か
いったいいま、秋葉原にどんなことが起こっているのか。それは単純に「いまこれが流行っているから、秋葉原はこう変わった」ということではなく、この授業でずっと考えてきた、「80年代に生起したもの」のひとつの極みが、秋葉原という街に象徴として、あるいは典型として表れたんだろう。それが「おたくの文化」として成長したんだろうと考えられます。
この著者は80年代の「おたく」から電車男など流行りだしたあたりの「オタク」の変化を論じているのだが、この文章に少し付け加えたい。

おそらく90年代は「おたく」の生息地、御息所を模索していたのではないかと思う。朝日新聞のコラムにあるようにきっとまだこの頃は秋葉原は「オタクの街」というわけではなく、渋谷だって「オタクの街」になりえた気がする。模索の末、キャラクターコンテンツビジネスで名乗りを上げた木谷高明さんらが、秋葉原を「萌え」の街と〈意味付け〉を施したのではないかなーと思った。

もちろん、ビジネスの開拓地として彼らが秋葉原を見出した背景にはこの本でいう「『80年代に生起したもの』のひとつの極み」があったのかもしれないんだけれど。少なくともこの20年で「オタクの街」「萌える街」といった〈意味付け〉が堆積したように思える。


異端の街秋葉原
 あらためて『うらなり』の表現を借りれば、「ぐんと伸びた盛り場」が徐々に西に移動するのは、東京の中でも西に位置する多摩地区に人口が集中していったことから、時代の趨勢だったと断言していいでしょう。だとするなら、その中で、極めて不可解なのが秋葉原です。
 時代はおしなべて東から西のほうへ向かっているはずなのに、秋葉原という街が出現し、ここに2000年代の、現在の「オタク」の文化ってものが集結していったというのは、なんか……文化全体の流れの中では、言ってみれば、あきらかに異端なんだろう。

……

東から西へという時代の流れ、街と東京の変容という現象の中では、秋葉原はまったくこの文脈の中にない。
 秋葉原は秋葉原で、面白い場所ではあるんです。僕はコンピュータが好きだったから、よく秋葉原に行くことはあったんだけど、その「コンピュータの街」だった場所とも、まったく変わってきている。
 このあいだ、必要があって秋葉原に行きました。すると、何年か前まで、ひっそりと存在していたはずの「メイド喫茶」が堂々としている。堂々とメイドが路上でチラシを配っている。こんなことがあっていいのか。それにちょっと驚愕したんですよ。秋葉原っているのは、僕が違和感を持っているものが、当たり前になっていく街のように感じる。
「東から西へという時代の流れ」だったから発展した「秋葉原」は異端というのは可笑しい論理な気がするけれども、「時代の趨勢」という言葉は非常にぴったりだと思う。


 かつては、美少女キャラクターのゲームを売る店は、コンピュータのパーツ屋の2階とか3階にあって、そこを出入りするには、パーツ屋を通り抜けないと行けない。たまたま僕はパーツ屋に入ったんですよ。すると、やっぱりさ、みんなこそこそしてたんです。上から降りてくる人たちがね。いけないことをしているような感じで降りてきたりして、顔を合わせないように、目を合わせないように出入りしていた。
 それが、あれから7、8年しか経っていないと思うんだけど、そのあいだにすっかり様変わりし、美少女ゲームを売っているお店が、表通りに店を出している。メイド喫茶と同じように当たり前になって、客もみんな堂々と店の中に入っていく。
 この変化、この変容というもの、「おたく」から「オタク」への流れを解いていくと、もう少し、時代相というか現在というものを知ることができるんじゃないかなと思うんです。

この本が書かれて7、8年前というとWindows98が登場してきて、コンピュータが家庭にも普及し始めた時代。こち亀にも「美少女キャラクターのゲーム」が登場して、左近寺という硬派な柔道男子がハマるという話がある。つまりは美少女ゲームというのは、一般大衆にはないが、あるところでブームであったと言ってもいいんじゃないのかな。

高校の頃、英語のT先生が「じつはよぉ、大学時代、友人に『A◯r』とか『P◯a・キャ◯ットへようこそ』とか勧められてよぉ」なんて話があったのも98年あたりはギャルゲブームだったからなんだろう。しかし、この話が面白いところは、この本が語るようにまだ「オタク」なんて時代じゃなくて、ひっそーりとしたアングラな環境だったということ。まさしく地下文化だ。ここから木谷氏の躍進であったり、マスコミが好意的に(じゃない場合もあるが)取り上げ始めるようになり、イマのように観光名所になるぐらい変わっていったと物語れる。


興味深かったけれど、ふーんと思いながら読み進めた部分があった。当時80年代は「コミケ」は文化のメインストリームではなかった(コミケと共に漫画やアニメなどはあった、ということではなかった)ということをこの本では言っている箇所がある。そうではなくゼビウス、大友克洋、岡崎京子が日本の漫画界を牽引しているような文章だったんだけれど、全く分からない世界なので割愛しました。


最後に色々と東京を歩き回り、文化や思想に触れ、色んな本を読んで過去を追体験していると東京という街は、もしかしたら、いまこういう局面を迎えているのではないか、という気がしていた。

きっと変わりゆく東京のエモーション(現在進行形で進化していく上で生み出されるエネルギー)を感じる時代は終わり、情報をうまい具合にパッケージ化された東京を消費、または浪費する時代になった。つまり、田舎の青年が上京してがむしゃらに模索する時代は終わったということだ。イマの東京は〈完成〉された都市であり、〈完璧に〉してするべく老朽化した部分をその都度変えていくだけの存在ということじゃないのかな。

そんな哀しい時代を生きていると思うと無常にも僕は涙を流してしまいます。

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